アイクとリーヒーが正しかった:広島と長崎への原爆投下は間違いだった

  • Ike and Leahy Were Right: The Bombings of Hiroshima and Nagasaki Were Wrong - リンク

1945年の夏、トルーマン大統領は日本帝国に対する決定的な一撃を探していました。1944年から45年までの連合国側の多くの勝利にも関わらず、昭和天皇は彼の将軍たちに戦闘を継続するよう促し続けるだろうとトルーマンは信じていました。アメリカは硫黄島と沖縄の戦いですでに7万6千人の犠牲者を出し、日本の本土へ上陸しての戦いは、さらに多くの犠牲者を出すだろうとトルーマンは予測しました。それでも、「オペレーション・ダウンフォール」という名前のもとに日本本土侵略の作戦が練られていました。

想定される殺戮は厳しいものであり、統合本部長は120万人の犠牲者が出るだろうと予測しました。ニミッツ提督とマッカーサー将軍は一日あたり千人の犠牲者が出ることを想定し、海軍担当者はその数は全員で400万人に上り、日本人の犠牲者は1000万人になるだろうと想定しました。ロサンゼルス・タイムスはそれよりは少し楽観的で、犠牲者の数は100万人と予測しました。

このような数を元にすると、アメリカが8月6日に「Little Boy」と名付けられた原子爆弾を広島に、そして8月9日に「Fat Man」と名付けられた原子爆弾を長崎に落とすことを決めたのも不思議ではありません。

少なくとも、これが私達が小学校で教えられた一般的な物語です。

反対意見

新しく開発された原子爆弾を落とす命令に署名したとき、トルーマン大統領は日本人が、たとえ苦い最後を迎えることになろうとも、戦争を続けようとしていると確信を持っていました。多くの人たちは、犠牲者数の見積もりが太平洋にいる軍人たちの命を守りたかったトルーマンを、予防線を張る側に立たせたと主張してきました。しかしこうした主張は、トルーマンを囲む他の重要な影響力を持った人たちがそれとは全く逆の結論に至ったという事実を無視しています。

反対意見を述べる急先鋒であったドワイト・アイゼンハワー将軍はトルーマン大統領に対して1945年7月20日に次のように主張しました。

「私は原子爆弾を使うことに2つの理由から反対します。1つ目は、日本人はもうすでに降伏する準備ができているため、そのとんでもなく悲惨な武器によって打ちのめす必要はないということです。2つ目は私達の国がそのような武器を使う初めての国になるのは見るに堪えられないということです。」


訳者注:

アイゼンハワーは戦後、トルーマンの後のアメリカの大統領になっています。また彼はアメリカ人から親しみを込めて「アイク」と言う名のニックネームで呼ばれています。

彼は大統領退任の挨拶のさい、「軍産複合体」の危険について警鐘を鳴らしています。


同じ主張を1当時の戦争大臣であったヘンリー・スティムソンに対しても行っています。このことは彼の回顧録に書かれています。

彼に私の深刻な懸念を伝えた。まず最初に、日本はすでに敗けていて、原子爆弾を落とすことは全く必要ないということ。そして2つ目に、すでにアメリカ軍の軍人の命を救うための方法として必要ではないと思われる武器を、私達の国が使うことで世界の人たちにショックを与えるのを避けるべきだということ。私の考えでは、そのとき日本は、面子を失うことを最小限にする条件での降伏の道を探していたのだ。

アイゼンハワーと同じような考えを持っていた別の重要な人物の1人が合衆国陸海軍最高司令官(大統領)付参謀長のウィリアム・リーヒである。彼は第二次世界大戦中のアメリカ軍で現地で軍務を実行していた中で最も高い地位にいて、大統領付参謀長を務めていた人です。彼は1950年に出版された「I Was There」という本の中で、次のように当時のことを書いています。

この野蛮な武器を広島と長崎に対して使うことは、私達の日本に対する戦争に対して意味のある助けにはならない。効果的な海上封鎖とこれまでの兵器による空爆が成功したおかげで、日本人はすでに敗け、降伏の準備をしていた。

当時すでに日本本土は海上封鎖され、中国と韓国にいる日本の軍隊は補給路が完全に絶たれていたのでした。

ロシアの役割

ワード・ウィルソンは、日本にとって最も重く苦しい日は8月9日だとフォーリン・ポリシー誌に書きました。(リンク)日本の最高評議会が初めて開かれ、そこで降伏を真剣に議論した日です。この日付はとても重要で、その日は広島に原爆が落とされた次の日ではなく、日本に占領された満州に三方から侵略し始めることでソ連が太平洋での戦争に参戦した日だったからです。

8月8日の前、日本は戦争を終わらせるための交渉の仲介役をソ連が引き受けることを期待していました。(リンク)しかし、ロシア人が日本に背を向けたとき、ソ連はアメリカよりもさらに大きな脅威となったのでした。このことは、当時の日本を率いていた政府の役人による公文書に示されていることです。

実際、ロシアの動きは日本人を無条件降伏に追いやるものでした。それまでは、日本の天皇に何らかの威厳を残し、彼を戦争犯罪法廷で裁かないという条件を付けた上での降伏を求めていました。ウィルソン上記の論文の中で、ヨーロッパの戦場と同じく、トルーマンが日本を打ち負かしのではなく、スターリンが日本を打ち負かしたのだと結論づけています。

トルーマン大統領は原子爆弾を使うという彼の決定に対して公の場で後悔の念を示すことはありませんでした。しかし、1945年の夏までに渡る戦争に関する活動と広島と長崎の原爆の持つ戦略的な価値に関して独立した研究を行う命令を出しています。1946年、アメリカ空爆調査団(the US Bombing Survey)は調査結果を公表し、以下のように結論づけました。

「詳細に渡るすべての事実に関する調査と生き残った日本人のリーダーたちの証言をもとに、たとえ原子爆弾が落とされていなかったとしても、さらにロシアがこの戦争に参加していなかったとしても、そしてさらに日本への侵略が計画されていなかったとしても、1945年12月31日までに確実に、1945年11月1日までにはおそらく、日本は降伏していただろうというのが、この調査の結論です。」

実際にはロシアは戦争に参加し、日本への侵略は計画されていたことから考えると、これはトルーマンに対する厳しい非難と言えるでしょう。

ゴールデンルールを守れ

ティモシー・カーニーがワシントン・エグザミナー誌に寄せた記事に書いたように、「霧の中の戦争」はトリッキーなものです。しかし、もし私達はトルーマンかアイゼンハワーとその他の反対する軍のリーダーたちのどちらを支持するか決めなければならないとすると、アイゼンハワー達の考えは合理的であったと言うだけはなく、それはアメリカのもつ最も基本にある価値感とうまく辻褄の取れたものでした。

全ての不確実性、当時の状況、現代の歴史修正主義的な視点を元に何が正しいのかを考慮するとき、私達は占いではなく、原則に従うべきでしょう。誰もが賛同できる原則の1つは、大量破壊兵器で市民を攻撃対象にするのは間違っているということです。何十万という数の無実の男、女、子供を意図的に殺すというのは、どんな状況であったとしても肯定できるものではありません。それが、トルーマンが直面した曖昧な状況であればなおさらです。

彼の決定は、彼の持つ日本人に対する差別感情によってされたものなのか、彼の軍隊の安全に対する懸念によってされたものなのかはさておき、非戦闘市民に対してこのような破壊的な武器を使用するというトルーマンの判断は、誰にも言い訳できるものではありません。

アメリカ人は過去(そして現在)の戦争に対して完全で正直な分析を求めなくてはいけません。もしアメリカが自身の理想に正直であり続けることができるのであれば、国内でも国外でも全ての衝突に対してより高貴で道徳のある終わり方をアメリカは求めるべきなのです。それはゴールデンルール(黄金律)のような私達が最も大事にする原則によって導かれるべきなのです。


ゴールデンルール(黄金律)とは、多くの宗教、道徳や哲学で見出される「他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ」という内容の倫理学的言明である。

ソース:ウィキペディア


少なくとも、アメリカ人は大量殺戮を正当化することに一生懸命になるべきではないのです。

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